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令和5年度漱石九日読書会 ~『漱石書簡集』~ 第2回報告11月5日開催

講師:村田由美先生

 

第2回目は、『漱石と寺田寅彦』です。

寺田寅彦は“天災は忘れた頃にやってくる”という警句で知られる物理学者ですが、第五高等学校に入学すると、漱石に英語を学び、漱石を生涯の師と仰ぎ、自ら「漱石の一番弟子」と称し、漱石も寅彦を同様に思っていたとのことでした。その漱石との生涯にわたる親交を、現存する53通の書簡から年代を追って、村田先生は読み解いていかれ、特に、漱石が留学中の往復書簡の長い文面や他の弟子との書簡の表現とは異なることなどからも、関係性の深さがわかりました。

漱石が熊本で過ごした4年3ヵ月の中で、比較的長く暮らした内坪井の家に寺田は週に何度も通い、漱石も歓迎していたようです。漱石が熊本を離れ、ロンドン留学から帰国後も、明治36年から明治39年にかけて同じように漱石の家を頻繁に訪れ、漱石も寺田の新婚家庭を訪れています。しかし、寺田がドイツ留学から帰国後は漱石邸から足が遠のき、今度は漱石が悲しむ様子からも、子規との関係性とは別の師と弟子の強い関係性がわかり、後に寺田自身と弟子・中谷宇吉郎との関係性にも反映されたと、村田先生は解説されました。

ただ、一方において、子規との往復書簡が「ホトトギス」に掲載されたように、寺田との往復書簡も朝日新聞文芸欄に断続的に掲載されました。そして、第五高等学校時代の寺田寅彦は、漱石作品の『吾輩は猫である』の水島寒月のモデルや『三四郎』の野々宮宗八として登場していると言われていることからも、漱石と寺田の親交がいかに深かったか、改めて知る機会となりました。(参加者70名)

 

☆次回は12月16日(土)14時~ 熊本市立図書館・ホール

 『漱石と五高生』