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令和5年度漱石九日読書会 ~『漱石書簡集』~ 第4回報告1月6日開催

講師:村田由美先生

 

第4回目は、『漱石と弟子達』です。

漱石の弟子たちの中でも、木曜会のメンバーで、本来の弟子といえる3名について、村田先生が熱心に語ってくださいました。

小宮豊隆ですが、自他ともに認められた愛弟子であり、永遠の弟子と本人も自負していたとのことです。漱石との関係は帝国大学在学中からで、書簡のやり取りも頻繁になるにつれて、親密さが増し、小宮に信頼を置いた漱石は給与の受取りや銀行の通帳を預けるほどであったと村田先生は解説されました。それゆえ、小宮は漱石の作品全集の出版や、作品原稿の保存にも力を尽くし、東北大学に原稿は保存されています。次に、鈴木三重吉ですが、交わされた書簡の中で有名な手紙があると紹介されました。明治39年の10月の鈴木宛の手紙で「俳諧的文学に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやって見たい。・・・」とあることから、『草枕』の世界から『野分』への転換点とされているが、村田先生は漱石は美的描写を捨ててはいないと思うし、あくまでも鈴木宛の書簡であり、この書簡を転換点とするのは躊躇すると指摘されました。もう一人が森田草平です。森田は平塚らいてうとの心中未遂事件いわゆる煤煙事件で、有名になってしまいます。その森田を漱石は2週間ほどかくまうこともして、その事件を作家として書かせて、朝日新聞に連載できるように取り計らってやります。村田先生は、森田との書簡のやり取りを告白という視点からみることができ、告白する相手をよく見ることが必要であり、それは『こころ』に描かれている告白にもつながるものがあると読み解かれました。

このように、漱石との三者三様の書簡のやり取りと関係性がわかり、皆さんも興味深く聴講されていたようでした。(参加者60名)

 

☆次回は2月24日(土)14時~ 熊本市立図書館・ホール『漱石晩年の手紙』