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令和6年度漱石九日読書会 ―夏目漱石の熊本時代― 第3回報告

開催日時  128()14時~1530

会   場  熊本大学くすの木会館レセプションホール

講   師  熊本高等専門学校八代キャンパス准教授 道園達也先生

 

 第3回は、道園達也先生による1898年(漱石31歳)をめぐる考察でした。まず、先生ご自身が携わられた「漱石の熊本研究年譜」から、この時期の漱石に関わる世界及び日本の政情、世情について解説されました。そして、漱石の当時の生活を鏡子氏述の『漱石の思い出』から取り上げられました。年末年始の様子については、高浜虚子宛書簡や狩野亨吉や山川信次郎などの友人宛書簡などからも、漱石が友人たちと小天温泉に出かけていたことが推察され、『草枕』の一場面になっていると思われるとのことでした。この年5月には鏡子夫人が白川に転落する事象があり、入水未遂という見方もあったが、村田由美先生も指摘されているように、事故と言えるものだったと読み解かれました。

 一方、五高では人事の仕事に関わり、奥太一郎の採用に尽力し、奥宛に招聘を要請した書簡を紹介されました。また、校務として軍事教練という形での修学旅行にも同行していた記録が五高の「龍南会雑誌」に記載があると示されました。

 さらに漱石の俳句について、正岡子規の「明治二十九年の俳句界」や「夏目漱石俳句稿評」、「龍南会雑誌」第59号から、漱石の俳句の紹介があり、子規の当時の俳句界に対する見解とともに、漱石の俳句を評価していることも解説されました。そして、漱石は心のバランスを取るためにも作句は必要で、のびのびと気持ちよく創作しているように思うと話されました。また、漱石を慕い、頻繁に自宅を訪れていた寺田寅彦は「夏目先生の追憶」の中で、俳句とは何かと漱石に問い、その印象的な回答が俳句をはじめるきっかけになったと記していて、俳句を通しての師弟関係も見て取れました。

道場先生の丁寧な資料による講話から、漱石の公私にわたる暮らしぶりを身近に感じることができて、皆さんも興味深く聴講されていました。(参加者 50名)

 

☆次回は令和7112日(日)14時~ 

熊本大学くすの木会館レセプションホール     

 

村田 由美 先生 ~熊本時代1899年(漱石32歳)~