開催日時 1月12日(日)14時~15時30分
会 場 熊本大学くすの木会館レセプションホール
講 師 草枕交流館館長 村田由美先生
第4回は、村田由美先生による1899年(漱石32歳)をめぐる考察でした。
この年の年表から主な項目として、「英国文人と新聞雑誌」を『ほととぎす』に発表、「小説『エイルヰン』の批評」の脱稿、山川信次郎との阿蘇旅行、紫溟吟社と漱石の俳句を取り上げられました。
また、五高における漱石に関わる資料として、2月11日の拝賀式でのドイツ人教師の不敬事件に関する狩野亨吉宛書簡と漱石自身が3月に提出している「種痘届」という興味深い資料について、当時の漱石の五高における立場がわかると解説されました。また、漱石の同年の旅行については、正月の耶馬渓旅行は年始の来客を避けるためのもので、新聞にも不在広告を載せるほどであったとのことでした。8月には、山川信次郎が熊本を離れる前に一緒に阿蘇旅行に出かけていますが、これは『二百十日』の題材になる旅でした。一方、生徒の修学旅行への同行は自由参加となり、参加していないようだと推察されました。
この年の5月には長女筆子が誕生しています。漱石が出産や筆子を詠んだ句についても紹介されましたが、鏡子夫人の『漱石の思い出』や筆自身が語っている「夏目漱石の『猫』の娘」からは、夫や父親としての率直な姿が見て取れました。
そして、五高時代の漱石は、紫溟吟社での活動や『龍南会雑誌』への掲載などを通じ作句し、俳人としての漱石を学生たちが尊重していたことがわかります。この熊本時代には、同時に後の英文学につながる端緒となる作品も発表し、他の時代とは明らかに異なると思っていると解説されました。
村田先生のいつもに変わらぬ熱心な講話から、当時の漱石の姿をたいへん身近に感じ、皆さんも興味深く聴講されていました。(参加者 45名)
☆次回は令和7年2月16日(日)14時~
熊本大学くすの木会館レセプションホール
村田 由美 先生 ~熊本時代1900年(漱石33歳)~